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訂正など

「神」という謎[第二版]―宗教哲学入門

初刷の訂正箇所(以下の訂正は二刷に反映されています。)

21ページ、1~2行目

科学的でないことがすなわち意味があることではない。

泣きながら以下のように訂正。

科学的であることが、すなわち意味があることではない。

バンジョー&ソウザ『認識的正当化』産業図書

書評

  1. 青木滋之「ローレンス・バンジョー、アーネスト・ソウザ著『認識的正当化 –内在主義対外在主義–』」(『科学哲学』41-1、2008年、pp.126-130)
  2. 伊勢田哲治「バンジョー&ソウザ『認識的正当化』上枝美典訳 書評』(『図書新聞』2006年4月8日号)名古屋大学機関リポジトリへのリンク

誤植

241ページ7行目 bn+1はbnの誤植。

青木滋之氏からの指摘(感謝)

  • p.46. 後ろから二行目 「認識論の研究者が、自分身の信念でも他人の信念でもいいから」 →「自分自身」
  • p.48. 前から四行目 「私たちの信念が真である理由はあるかも知れないが、」 →「しれないが」
  • p.57. 前から四行目、注12の続き 「したがって、整合主義という概念は、整合主義のほうが中心的な・・・」 →「したがって、整合主義という概念は、整合主義の立場における場合のほうが、[より]中心的な・・・」
  • p.57. 後ろから三行目 「ここで唯一現実なのは、」 →「ここで唯一本当[現実的]に可能だと思われるのは」
  • p.64. 第二パラグラフの二行目 「事実上、真を信じることへ導く・・」 →「事実上、真であることがらを信じることへ導く・・・」
  • p.69. 原注(1)の五行目 Methodological Pragmatism →斜体
  • p.77. 第一パラグラフの五行目 「特定の一階の信念が存在していることついての」 →「ことについての」
  • p.91. 後ろから三行目 「第1章で言及した・・・」 →「第一章で言及した・・・」
  • p.119. 原注(8) Theory of Knowledge →斜体
  • p.227 原注(8) In Defense of Pure Reason の出版年 1988 → 1998

チザム『知識の理論 第三版』世界思想社

訂正

163ページ4行目
脱落あり。次の一文を段落最後尾に追加。
「しかしもしも私たちが事柄をよく見るならば、この伝統的な知識論の問いに迫る道は、このような意味で内在主義的であることは明らかである。」
55ページ4行目
(d)→(b) ※原文は(d)となっているが、文脈上明らかに(b)。
140ページ2行目
受け入れないよりも→差し控えるのと少なくとも同じくらい
141ページ1行目
信じない→差し控える
159ページ2行目(ルビ)
エピステモノジスト→エピステモロジスト
182ページ2行目
単に→高々 ※訳語の統一という観点から修正。

『「神」という謎 —宗教哲学入門』

※2007年に増補改訂版である第二版を出版しました。コメントをお寄せくださった方々に感謝いたします。
[2003年 4月 5日]第3刷
[2001年 6月20日]第2刷
[2000年 4月20日]初版第1刷

書評

『宗教研究』(日本宗教学会発行)74-3, 2000年12月, pp181-186。飯田篤司氏。

二刷の訂正個所(以下の訂正箇所は三刷に反映されています)

表記等

100頁 「ルイ・ド・モリナ」→「ルイス・デ・モリナ」
第5章の一部(pp.100-102)で触れた「モリナの解決」に関して、昨年8月に出版された、上智大学中世思想研究所編『中世思想原典集成 20;近世のスコラ学』の中に、この問題に関するモリナの主要著作である『恩寵の賜物と自由裁量との調和』の部分訳と解説(別宮幸徳氏による)が収められています。この解説で述べられているとおり、モリナはスペイン人なので、”Luis de”は、「ルイス・デ」と読む方が正しいようです。

誤植

113, 200頁 勁草の勁の字が間違っています。星川さんごめんなさい。(号泣)
初刷の訂正個所(以下の訂正個所は二刷に反映されています)

表記等

153頁14行目 1/2.02×10321 → 2.02×1/10321 (TL981321秦新治君より)
174頁12行目 2箇所「頭」→「あたま」(関口氏より)

誤植

59頁4行目 「(31)や(32)」→「(32)や(33)」 (村瀬氏より)

意味不明

96頁11行目 「神が~した」→「神は~いた」
命題1のどこを探しても「神が~した」という部分はない。「神は~いた」の間違い。(関口氏より)
179頁19行目 「同語反復だが」→削除
考えられている命題は、ややこしいのを承知で展開すると、「それ以上すばらしいものが存在しないものが存在することは、すばらしい」となる。これは、厳密に言えば、「同語反復」ではない。分析命題と言うべきか。議論上は、この命題が真でさえあればよいので、致命的ではない。しかし、この命題がどうして真と言えるのか、検討の余地あり。(関口氏より)
11頁11行~13行
「どんな人も、既婚者であり、かつ未婚者であることはありえない」。これは矛盾律に基づく。また、「すべての人は、既婚者であるか未婚者であるかのいずれかである」。これは排中律に基づく。
この表現について、納富信留氏より「離婚した人はどうなるのだ」という指摘があった。「既婚者」を「すでに結婚して、現在もまだ結婚している人」と理解し、「未婚者」を「まだ(一度も)結婚したことがない人」と理解するならば(そしてたぶんそれは標準的な理解だろう)、確かに氏の指摘は正しい。それで、この箇所を以下のように訂正します。
「どんな人も、結婚しており、かつ結婚していないことはあり得ない」。これは矛盾律に基づく。また、「すべての人は、結婚しているか結婚していないかのいずれかである」。これは排中律に基づく。
この箇所を書くときに、marriedとunmarriedの対比が頭にあって、それを安易に「既婚者」「未婚者」と訳してしまったのが原因。

追加

PlantingaのGod, Freedom and Evil の翻訳があったのをすっかり忘れていた。以下を文献表に追加する。私自身はこの訳書を見ていません。(川添信介氏の指摘)
A・プランティンガ、星川啓慈訳『神と自由と悪と –宗教の合理的受容可能性–』勁草書房、1995年。

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