- 今日も早起き出勤。午前中は文献読みに集中。(でもちょっとねむい)
- 午後から明日の某オリエンテーションの準備をやっておく予定。
- 女子サッカーでわざと引き分けたのがスポーツマン(ウーマン)精神にもとるんではないかという議論が起きている。バドミントンでは故意に負けた選手が失格になったこともあり、処分の公平性が問題になっているんだろう。
- 個人的には、オウンゴールを連発して故意に負けたら問題だが、相手が勝ちに来ているときに引き分けを狙うというのは、戦術としてありだと思うが。
- 五輪の倫理規定として、「選手は自らが参加する競技において、その競技に勝つことを第一の目標としなければならない」という条文があるとする。要するにこの規定の解釈の問題。
- 【解釈A】
- *金メダルの数だけ競技がある。
- たとえば女子サッカーという競技は、予選から決勝を含めたすべての試合の全体を言う。そこで「その競技に勝つ」とは「金メダルを取る」ということであり、そう考えると、ある試合(全体の競技の部分)で、勝つことではなく引き分けることを目標とすることがあっても、それは非難されない。
- 【解釈B】
- *「競技」とは、通常のそのゲームの一試合のことである。
- この場合、金メダルを取るためであっても、一試合でも、勝つこと以外のことを目標とすることは、倫理規定に反することになる。
- バドミントンは後者の解釈が適用され、サッカーは前者が適用されたように見える。
- しかし、つねに解釈Bを適用することは不自然である。たとえば陸上競技や水泳で、決勝のために予選は手を抜く、ということはあたりまえだし、予選で疲れて決勝で結果が出なかった、ということがあれば、むしろ非難される。
- サッカーは、ふだんから、引き分け狙い(とくに試合の終盤)ということが戦術的に行われているので、あまり違和感がないのだろう。私も南アフリカ戦は観戦していたが、解説者が、「もっと攻めろ!」と言っている方に違和感があった。
- 他方で、バドミントンや、卓球、テニスなど、故意に負けや引き分けを狙うと、あからさまに、ふだん見ているゲームと違うことが行われているように見えて、違和感があるのだろう。
- 【提言】
- *オリンピックは、金メダルの数だけ競技があることにして、ふだんと違うようなゲームがあっても、それは金メダルを目指す競技全体の部分や過程だと見なして、おおらかな気分で観戦しましょう。
- *金メダル狙いの異常なゲームを見るのがいやな場合は、トーナメント方式の見直しなど、運営側で改善の努力をするようにして、選手側に責任を押しつけないようにしましょう。
- もうひとつ最近気になるのが、「国民の生活が第一」。みんな気になっていると思うが。
- 国会議員はそもそも国民の代表であり、議員さんたちはみんな国民。だからなんか変なんだろうと思う。「国民」と、一つ上から見ているようで。「だったら君たちは何なん?」と言いたくなる。この「国民」とは自分たちのことだからこれは要するに「自分たちの生活が第一」と言っているのだ、ということであれば、なにをか言わんや。
- 別の言い方としては、「民主党」というのは、国民が主となる、という意味だろうから(おそらく別解あり)、それを読み下したのと同じようで代わり映えがしない、ともいえる。