- 「竜巻と見られる突風」という表現が世間を騒がしている。
- いちおう、「竜巻」は気象用語で、気象庁の職員が現場を調査して、藤田スケールを伴うかたちで、たとえば「F2の竜巻」というように確定することになっているので、それをマスコミが尊重して、こういう表現になったのだと思われる。
- しかし、今回は、多くの写真や動画が撮影され、目の前で「竜巻」がぐるぐる回っているのに、「竜巻と見られる突風」という表現が使われていた点に、多くの人があからさまな違和感を感じたようだ。
- この違和感がどこにあるかと言えば、やはり、基準の問題で、不適切な基準が無批判に用いられている点にあるのではないか。
- 昔の人は、映像にあるような、あのぐるぐる回る強烈な風を見て、「竜巻」という風流な名前を付けたのである。だから、だれの目から見ても竜巻であるものを竜巻と呼ばないのはおかしいし、ましてや、お役所の都合で、気象業務法かなにか知らないが、最終判断が出るまでは、ソレをソレと呼んではいかんのです、というようなことを言われたら、てやんでいべらぼうめ、と言いたくなるのが健全な感覚である。
- 認識論ではよくある話で、日常的に使われている基準をちょっと厳しくすると、断定的に「ソレだ」、と言えなくなることが多い。トンボが飛んでいるのを見て、「トンボだ」と言うのは日常レベルでは正しいが、もしかしたら、だれかが精巧に作ったトンボ型飛行ロボットかもしれない。だから、より厳しい基準では、「トンボと見られる物体」と言わないといけない。たとえば、未来の戦場で、敵がトンボ型軽量爆撃機を所有していることがわかっている場合、この厳しい基準が必要となる。
- 話を戻すと、「竜巻と見られる突風」は、この、厳しい基準での表現であり、人々が感じた違和感は、気象業務法云々ではなく、この基準が選択されていることにたいする違和感である。「秋も深まり、最近、野山に赤とんぼと見られる飛翔体が数多く出現しています」というニュースにたいする違和感と同等である。
- 気象にかんしては事が重大なので、厳しい基準を用いるようにしているんです、と言うならば、ではどうして、もう少し厳しい基準を使わないのかと反論できる。なぜ、「竜巻」には慎重で、「突風」には寛容なのか。「突風と見られる風」と、どうして言わないのか。さらに、「風」には慎重にならなくていいのか。「風と見られる大気の動き」でなくていいのか。
- つまり、いずれにせよ、どこかに基準を置かなければならず、常に、現在の文脈で、どれが適切な基準かを、柔軟に判断しなければいけない。竜巻の映像が数多くあるような今回の状況では、単純に「竜巻」と呼ぶのが適切だったのではないか。